第七章 太平洋戦争
(「近代日本の七つの戦争」の「太平洋戦争」の序文です。実際の書籍の文章は縦書きで、読みの難しいと思われる漢字には、ふりがなをふってあります)
第1節 序
「太平洋戦争」は、日本では終戦まで、もっぱら「大東亜戦争」と呼ばれていた。これは当時の日本政府のうちたてたスローガン「大東亜共栄圏」の地域における、アジア解放のための戦いという意味であり、地理的にはほぼ的を得ている。だが、「大東亜戦争」という言葉は、当時の軍国主義的な響きを引きずってしまうため、今日ではあまり使われていない。現在では「太平洋戦争」というのが一般的である。
この太平洋戦争の主役は、いうまでもなく東洋の最強国日本と西洋の最強国アメリカである。だが、両国の国力の差は歴然としていた。当時の日本軍部がいくら無謀だったとはいっても、この差がわからなかったわけではない。陸軍の主戦派代表で、当時西洋では「剃髪の極悪人」とされた東条英機首相も、日米の国力差を把握していた。また、世界の指導者層も同様に、日米の力の差を知っていた。日本軍によるハワイのパールハーバー奇襲の知らせを聞いたとき、イギリス首相チャーチルも中国国民政府蒋介石も、「これで勝った」と確信したという。それなのに、なぜ日本はアメリカとの戦争に自分から進んで突入していったのか?
だが、ともかくも、太平洋戦争の初期、日本軍は破竹の勢いだった。日本はあっという間にアジア・太平洋で、予想以上の広大な地域を支配下におさめた。しかし、ミッドウェイ、ガダルカナルの戦いを転機に、連合軍、とくにアメリカ軍に対して一方的な敗退を続けた。日本の敗退の原因は、アメリカとの圧倒的な物量の差が第一に挙げられる。しかし、日本とアメリカでは、戦争というものに対する考え方や人命に対する考え方もまるで違っていた。この考え方の違いが、日本をさらに悲惨な状況へと追い込んでいったのだ。
日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結んで枢軸国陣営として、アメリカ・イギリスなどの連合国陣営と対立した。その一方、アジアにおいては、太平洋戦争を「白色人種による支配からの有色人種の解放戦争」として位置づけようとした。日本は自らをアジアの解放者に仕立てようとしたのだ。しかし、アメリカはこの戦争が「有色人種対白色人種」の戦いととられることを避けようとした。アメリカは自分たちが正義のために戦争をしているということを世界にアピールしようとしたのだ。アメリカは「民主主義対ファシズム」の戦いとしてこの戦争を位置づけようとした。そして、自分たちをファシズム支配からの解放者に仕立てようとした。
しかし、アメリカの同盟国のイギリスやフランス、オランダなどは、アジアに広大な植民地をもつ白色人種の国家だった。そこで、アメリカはなんとしても、中国を自分たちの陣営に引き込まなければならなくなった。もし、中国がアメリカ陣営から離れて日本と手を結んでしまえば、この戦争は日本がもくろんでいる「有色人種対白色人種」の戦いになってしまうのだ。
一方、アジアの解放者を自称する日本の政策の実態はお粗末なものだった。占領下に置いたアジアの国々を武力で圧迫し、天皇制をはじめとした自分たちの価値観を押しつけ、また、鉱物資源などを搾取するだけで与えることはほとんどなく、アジアのために日本が行動しているとは到底考えられなかった。結局、日本はアジアの人々の心をつかむことができなかった。いや、つかむことはおろか、日本は侵略者としての烙印を押され、現在に至るまで信頼を失墜することになるのだ。
しかし、太平洋戦争における日本のアジアへの侵出が、アジア諸国を独立に導いたというのも事実である。日本軍はアジアから利益を搾取していたイギリス、フランス、オランダなど西洋列強をアジアから駆逐した。そしてそのことが、おりから始まっていた民族運動をさらに活性化し、日本軍が敗戦により引き揚げた後も、現地での独立運動は確固としたものになっていった。
太平洋戦争後、フランスやオランダが植民地を取り戻すために、インドシナやインドネシアに戻ったとき、すでに、その地のアジア人たちはヨーロッパの支配を以前のようにおとなしく受け入れるような人々ではなくなっていた。彼らは自分たちの力でヨーロッパと戦い、独立を勝ち取ったのだ。つまり、太平洋戦争はアジアにおけるヨーロッパの植民地支配を終わらせる大原動力となったのだ。
ただし、アジア諸国の独立は日本が意図したものではなく、結果的に起こったできごとだった。日本軍のマレー、シンガポール、ビルマ、インドネシアなどでの緒戦の勝利が、歴史の複雑な運命の糸に導かれ、結局はアジア諸国の独立につながっていったということなのだ。
日本軍の悪行は多かった。一般人に対する虐殺行為、苛酷な捕虜の扱い、圧政となった占領地域での軍政、従軍慰安婦の問題など、弁解の余地のないところは多い。
しかし、日本軍に駆逐されるまで長年にわたり、アジアに植民地を建設し、利益を搾取してきた西洋列強の責任はどうなのか? 国内で大弾圧を行ない、ヒトラー顔負けの恐怖政治を敷き、隙があれば中国や東ヨーロッパ、そして、日本にも勢力圏を伸ばそうとしていたスターリン独裁のソ連は善だったのか? そして、自由と民主主義の理想を掲げて、圧倒的な武力で徹底的に日本を粉砕したアメリカが絶対的に正義だったのか? アメリカはまるで私利私欲をもたず戦っていたのか? アメリカは世界中に多くの物資を与えると同時に価値観も輸出した。しかし、アメリカ流の価値観は本当に世界中で通用し、その価値観により世界の人々は幸せになれるのか?
この章では、太平洋戦争の時代背景となる日中戦争において、日本とアメリカの関係が悪化するところまでさかのぼり、続いて一九四一(昭和十六)年の日米交渉の決裂、その後引き起こされた人類史上未曾有の大戦闘、そして、政治家たちの駆け引き、最後に日本の敗戦までのようすをみていきたい。
太平洋戦争を知るということは、現在の世界勢力の成立過程を知るうえでも、非常に重要なことだと思われる。戦後すでに五十年以上がたち、世界の勢力バランスもかなり変わった。戦後ほどなくして、中国は共産党政権となり、アジア、アフリカではそれまでの植民地がつぎつぎと独立国になった。そして、あれほど強大に思われたソ連は、一九九一年に崩壊した。だが、現在も国際連合という第二次大戦中に発案された国際機構が存在している。そして、実質上、世界はアメリカ主導のもとに動いている。アメリカへの反発はあるものの、ともかく今日の世界はアメリカなしでは成り立たない。
第二次世界大戦・太平洋戦争でできあがった世界の勢力バランスは、いまだに生き続けているのだ。