第三章 日露戦争

(「近代日本の七つの戦争」の「日露戦争」の序文です。実際の書籍の文章は縦書きで、読みの難しいと思われる漢字には、ふりがなをふってあります)

第1節 序

 一次世界大戦が大量殺戮兵器を使った史上初めての大量殺戮戦争と一般にはいわれているが、その十年前に起こった、日本とロシアの血みどろの戦い日露戦争は、近代大量殺戮戦争を十分に予感させるものだった。まだ、戦車も飛行機も化学兵器(毒ガスなど)もなかったが、コンクリートで固めた要塞にこもり、敵に向けて機関銃を乱射し、巨大戦艦が巨大大砲から高性能火薬のこめられた砲弾を敵艦めがけて発射する。そして、権謀術数が世界中を巻き込み、外交戦術の駆け引きが火花を散らす‥‥

 だが、同時に日露戦争は、軍人に武士道精神や騎士道精神が強く残っていた最後の戦いだったともいえる。戦争中であっても、休戦日には日露両国の将兵が乾杯をしたり、乃木希典将軍や東郷平八郎元帥が戦闘の後、敵の将軍と会見するという、それ以降はなくなった光景もみられた(日露戦争以降の戦争でも、局所的には、日本の武士道精神や西洋の騎士道精神的なものがみられることもあったが)。

 しかし、何といっても世界中が注目したのは白色人種と有色人種の戦いにおいて、有色人種が初めて勝利したということだった。列強の中でも第一の軍事大国ロシアと、開国してから半世紀しかたたない極東の小国日本。日本の勝利を予想した者はほとんどいなかった。日本の勝利に日本本国はもとより、インドやトルコなどアジア諸国でも大騒ぎとなった。後のインドの首相ネルーは「長年、ヨーロッパに苦しめられてきた我々アジアの国々にも、やればできるという希望の光が差してきた気がして、子供心にも熱狂した」と述べている。

 反面、日本の勝利を知った西洋は愕然とした。ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は「我々にとってアジアが脅威となった初めての瞬間だった。そして、我々が本当に恐れるのは、日本そのものではなく日本に動かされる中国、アジアだ」と語っている。そして、その後、西洋の国々は実際に日本に少なからぬ脅威を感じるようになった。

 また、日露戦争の勝利は近代日本の栄光のシンボルとなった。陸軍の乃木大将と海軍の東郷元帥は、国民的英雄となり、その後、それぞれ乃木神社、東郷神社に祀られた。また、陸軍が奉天入城を果たした三月十日が陸軍記念日、海軍が日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊を破った五月二十七日が海軍記念日に設定された。

 しかし、日本軍の勝利の実態は悲惨なものだった。日本軍の損害はロシア軍をはるかに上まわり、これ以上戦争を続けられない状態に陥った。対するロシア軍にはまだゆとりがあった。ポーツマス講和条約において、敗戦国ロシアのヴィッテ全権が、戦勝国日本の小村寿太郎全権に「賠償金を支払うのなら、戦争継続の方がよい」とおどしをかける奇妙な一幕もある。

 では、いったいなぜ、この日露戦争は勃発したのか? なぜ日本は、世界最強の軍事大国といわれたロシアと戦争に踏み切れたのか? そして、なぜ、ロシアが負けたのか? そして、日露戦争はその後の世界情勢にどのような影響を及ぼしていくのか?

 この章では、まず日本とロシアが敵対するようになったきっかけから考え始め、当時の日本、ロシア、中国、朝鮮の時代背景、戦争に向けての動き、実際の戦闘、そして、ポーツマス条約とその後の世界の動きを追っていきたいと思う。

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