第二章 日清戦争

(「近代日本の七つの戦争」の「日清戦争」の序文です。実際の書籍の文章は縦書きで、読みの難しいと思われる漢字には、ふりがなをふってあります)

第1節 序

 ジア諸国は列強の植民地政策の標的となっていた。東南アジアはタイを除きことごとく植民地となり、清国もアヘン戦争により香港をイギリスに奪われ、半植民地化の危機に瀕していた。日本は列強から侵略を受けてはいなかったが、だからといって、日本だけがその標的から免れるということは考えにくく、明治政府の指導者たちは非常な危機感をもっていた。

 日本政府が危機感を抱いていたという点において、やはり日本も近隣アジア諸国と同様、列強に圧迫された国であった。そして、この圧迫から日本を解放することが明治政府の課題だったのだ。そのためには不平等条約の改正がぜひとも必要だった。そして、新聞などの積極的な主張もあり、条約の改正は国民の悲願となっていったのだ。また、明治維新の動乱の時代が終わってから、明治政府は日本を近代国家とするために、諸制度を整えていった。そして、政府だけではなく、一般の人々の間にも近代国家である日本の国民としての自覚が芽生えていった。また、政党などは政府とさまざまな衝突を起こしたが、その衝突がさらに新たな近代国家としての日本を形作っていく原動力ともなった。

 このような状況下で、日本は朝鮮の支配をめぐり、清国と交戦状態に入っていく。いや、戦争は日本が仕掛けたといってもよかった。日本にとっては列強の仲間入りをかけた戦いだった。そして、日本は戦闘においては清国に圧勝した。初めての本格的な外国との戦争の勝利は、日本の運命を大きく変えた。日本はそれ以降、近隣のアジア諸国を圧迫する帝国主義国家へと変貌した。日本は念願の列強の立場に大きく近づいたのだ。

 しかし、日本は勝利を得ても、最大の目標であった朝鮮の支配を実現できなかった。そのため、日清戦争は軍事的には成功したが、政治的には失敗した戦争といわれている。軍事的勝利と政治的敗北、これはまさにその後の軍国主義日本の運命を予感させるものであった。

 日清戦争は十年後に起こる日露戦争に比べると規模は小さく、一般に関心度は低い。また、研究が第二次世界大戦が終わるまで禁止されていたため(研究していくと、当時の日本の朝鮮政策が非常に侵略性の強いものであったことがわかってしまうため)、書かれた書物も少なく、開戦の理由も曖昧なところがあり、つかみどころのない感じがある。

 だが、この戦争は世界史上初めての海軍の近代的艦隊同士による戦闘であり、大艦巨砲の軍艦と機動力のある艦隊の有効性を世界に知らしめる戦いでもあった。そして、何よりも日本の国家の独特のシステムをつくりあげ、国民の意識を変えたという点において、また、その後の国際情勢をも大きく変化させたという点において非常に重要であり、本来はもっと注目されるべきものである。

 では、日清戦争により確立された日本独特のシステムとは何だったのか? また、日清戦争によって、日本人の意識はどのように変わっていったのか? そして、国際情勢はどのように変化したのか?

 この章では、これらの疑問点を考えるとともに、まず、当時の日本、中国、朝鮮の時代背景を考え、それから戦争に向けてのさまざまな動き、実際の戦闘、下関条約と三国干渉、そして、その後の国内・国外の情勢変化を追っていきたい。

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