第一章 維新戦争(幕末〜明治維新)

(「近代日本の七つの戦争」の「維新戦争」の序文です。実際の書籍の文章は縦書きで、読みの難しいと思われる漢字には、ふりがなをふってあります)

第1節 序

 もそも「明治維新」とはどんな意味なのだろうか? 「維新」という言葉は、古代中国の「詩経」という書物の中に出てくるものであり、意味は漢和字典には「昔から伝わる悪習を改める」とある。また、一八六七(慶応三)年十二月、「王政復古の大号令」が出されたとき、その中に「百事御一新」という言葉があり、世の中の諸々の事柄を改めるとうたっていた。そして、当時の人々はこの「御一新」という言葉を盛んに使い、それが「明治維新」という言葉の起源になったという。つまり、「明治維新」とは、「明治の時代になって、世の中がお上の命令によって、古い習慣から解放され、新しくなった」というような意味である。

 それでは明治維新は、いつからいつまでをさしているのだろうか? これには諸説あり、始まりを天保期の大塩平八郎の乱(一八三七(天保八)年)あたりにする説や、ペリーの黒船来航(一八五三(嘉永六)年)のときにする説などがある。終わりも、西南戦争(一八七七(明治十)年)とする説や、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布されたとき(一八八九(明治二十二)年)とする説などがある。

 本書は、戦争と国際関係を中心に日本の近代史を考えていくのがテーマなので、明治維新の始まりをペリーの黒船来航とし、明治維新の終わりを西南戦争ということにする。

 この明治維新の時代に、日本はさまざまな戦争を行なった。長州藩とイギリス、フランス、オランダ、アメリカなど列強との攘夷戦争、薩摩藩とイギリスとの薩英戦争、そして、西は京都から東は関東、新潟、北は東北地方から北海道まで、日本の広範な地域で行なわれた天下分目の戊辰戦争、さらに明治政府ができてから、その政府に反発して行なわれた士族反乱、そして、士族反乱の中でも、明治政府の最大の危機となった西南戦争‥‥これら一連の戦争を総称して、ここでは維新戦争と呼ぶことにする。

 また、数多くの流血事件と謀略が維新戦争の周辺を取り巻いている。たびたび開国を迫る列強からの圧力や開国派と攘夷派との果てしない暗闘、水戸藩の血を血で洗う内紛、明治新政府内での権力争い、新政府の政策に反対する大規模な農民一揆、数かぎりない要人の暗殺など‥‥維新戦争の時代は、まさに日本の近代戦国時代の幕開けだった。

 江戸時代には鎖国をして、世界の目から見れば、むしろひっそりと暮らしていた小国日本は、いったいどのようないきさつで維新戦争の時代に突入していったのだろうか? そして、維新戦争の中心となった戊辰戦争や西南戦争というのは、どのような戦いだったのだろうか? また、この時代を通じて、日本は何を学び、その後、自分たちの姿をどのように変えていったのか?

 近代日本は軍国主義化され、アジアの近隣諸国を侵略していき、あげくの果てにはアメリカをはじめとした全世界を敵に大戦争を繰り広げ、大敗北を喫するわけだが、この近代日本の真の姿を知るためには、その原点となった維新戦争までさかのぼってみる必要がある。この時点において、近代日本は生まれ、その方向性も決定されたからだ。

 この章では、まず、列強の外圧に悩まされる日本と、そして日本を驚愕させた列強による中国の植民地化の惨状を時代背景として、それから、開国した日本国内の混乱、そして、徳川幕府の崩壊と戊辰戦争、新政府の成立とそれに反発する西南戦争を頂点とする士族の反乱などをみていきたい。

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